お知らせ

Sさん(University of Cambridge, Music / Christ's Hospital 出身)

留学報告書を書くのもこれで7度目ですが、毎回時の流れに驚かされます。気づけば奨学生としての4年間が終わってしまいました。ケンブリッジ2年目となる今年は去年にも増して密度の濃い時間を過ごすことができただけに、あと1年で卒業してしまうのが既に寂しく感じます。

学業面では、今年は取る科目の選択肢が増え、特定のトピックをより専門的に学ぶことができました。特に興味深かった一つは、昨年から学んでいるアナリシスのうちの一つのメソッドである、シェンカー分析です。これはオーストリア人のハインリッヒ・シェンカーという学者が19世紀に提唱した分析法で、調性音楽は一曲を通して一つのUrsatzという基本ラインをもとに成り立っているという理論です。このシェンカー分析の一番の特徴は、和声法や対位法といったミクロな分析の視点を統合して、鳥瞰的に作品を捉えられることです。つまり、ただ音楽を聴いたり弾いたりするだけでは考えもしないような角度から楽曲にアプローチし、作曲家が音楽を生み出す時の思考の過程を辿ったり、曲の与える全体的なイメージについて考えたりできます。このように学問的な分析によって、音楽の感じ方が変わる経験はとても新鮮でした。

もう一つはクリティカルエディションと呼ばれる版の楽譜の編集について学ぶものです。そもそも、この世に存在する多くの曲は複数の出版社から出された異なるエディションがあり、ある曲を演奏する時、演奏家はどれを使うか検討する必要があります。それぞれ細かいアーティキュレーションや表現記号が異なる場合があるからです。その中でもクリティカルエディションは、作曲家の意図を尊重することに重きを置いた版で、クリティカルノーツという編集メモのようなものを伴います。授業ではイタリアンオペラを題材に、このノーツの書き方や楽譜編集の意義について学びました。クリティカルエディションの第一人者であるイタリア人の先生を招いて討論する時間もあり、普段使う楽譜の出版の裏でどのような研究が行われているのか知るとともに、演奏する時も楽譜の指示をより注意深く見るようになりました。

その他、ドイツ語の詩を選んでシューベルトのスタイルで歌曲を書いたり、発展的な対位法を学んでフーガを書いたり、昨年と比べクリエイティブな科目も増えました。来年はいよいよ最終学年となる三年生です。作曲やポートフォリオなどこれまでの学びを主体的に応用するプロジェクトがメインとなり、音楽に対してより深い理解を得られること期待しています。

授業以外の活動としては、今年も大学のオーケストラでコンサートミストレスを務め、様々なスタイル・編成の曲に挑戦しました。一年次と変わったのは、コンサートホールに限らず大学のより様々な場面で演奏することができたことです。例えば、Zoology Museumでバッハを弾いたり、Benefactorのための式典でソロ演奏したり、ピアノクインテットでClare Master’s Lodgeに招待されたり、ケンブリッジだからこそできる貴重な経験を積むことができました。中でもとても勉強になったのが、ソリストとしてオーケストラとコンチェルトを演奏したことです。これは昨年行われた大学のコンチェルトコンペティションの結果与えられた機会で、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏しました。50分近くあるこの曲の中でスタミナをどう持続させるか、緊張とどう向き合うか。様々な課題を乗り越え弾き終えた時の興奮、達成感は一入のものでした。

photo Zoology Museumでのコンサート

photo オーケストラとコンチェルト共演

この夏休みはドイツのワイマールにある音楽大学で開かれているマスタークラスに参加しました。私以外の参加者は皆ドイツで学んでいる生徒で、クラシック音楽の本場のレベルの高さに驚かされました。また、レッスンを受ける中でイギリスの先生との教え方の違いに気づき、このような形で両国の異なる風土に触れるという興味深い経験をしました。他にも、ワイマールは英語もあまり通じず、アジア系は見渡しても私だけというような小さな町なのですが、このような環境に入って初めて、イギリスがいかに多様性の国であるか実感しました。

10月からの最後の一年、残されたTazaki財団生としての日々を悔いなく過ごせるよう、この恵まれた環境に感謝しながら、精一杯励みます。